ツイッターの続きというか、まとめというか、なんというか、これから適当に思いついたことを書いていくので、結論がどうなるか分からないんですけど、とりあえずパッと思いついた情報収集のあれこれについて思いつきのみで書きまーす。
いまはネットが能動的な情報収集法で、テレビが受動的な情報収集法
という風に一般的に言われているんですけど、なんかSNSの台頭により、だんだんそうでもなくなってきているのかなぁ、なんて思いました。。
というか、ネットのなかでもSNSというものは、かなり受動的な情報収集ツールになっているな、と。
(ちなみにここではSNSといっても主にツイッターのこと中心で書きますよ。)
だってたいていの人って、友達とか趣味が合う人とかをフォローしてて、その人たちってなんか突然
「どうした急に?!」
みたいなつぶやきとかリツイートとかすると思うんですよ。
「どうした急に?!」じゃなくてもいいんですけど、そういうおもいがけずに入ってきたつぶやきにおける情報って、どう考えても受動的に受けてるなーって。
もちろん例外もいて、情報収集のためにツイッターをやっており、それら関連の人(ex.経済評論家)しかフォローせず、その人たちが例外的行為(ex.経済以外のつぶやき)を行わないとかだと、完全に主体的に情報を得ていますが、まぁそんな人あんまりいないし、フォローしてる人が例外的行為をしないというのもほぼないことだと思うんですけど。
だから、なんか、時々あるじゃないですか。「お前がフォローしたのが悪い」みたいな意見。
あれってどうなんだろう?と。
なんかここまで書いてて思ったんですけど、これは別にツイッターだけでなくブログでもそうですね。てかあれですね、「誰かが行うなにかしらの表現を定期的に見るツール」すべてにあてはまりますね。表現っていうのは文章とか動画うpとか
いや、まぁでも結局何が言いたいかって、多くの人が知りたくないと思っている情報について流してしまうのは、その人のエゴでしかないんではないかと!たとえどんだけ「自由につぶやけなければ意味がない」とか言われても、最低限そこだけは守らないといけないんじゃないかと!
ここでいう多くの人っていうのは過半数って意味ではなく、あくまで「多くの人」です。
つまりSNSでネタばれしてんじゃねーよカスっていうことと、発売されたからといって自由につぶやいていいもんでもないんじゃないんかな?っていうことです。
事前に「私はネタばれします」みたいなことがわかるんだったらね、いいんだけど(それこそブログならネタばれきをつけてとか最初に書くだけで見なくて済む)、ツイッターとかはもう140字しかないからネタばれってあったとしても視界に入っちゃうもんね。
そこはもっと気をつけてつぶやくべきなのかなと。ツイッターはすでに「望んでいないものを見ないようにする」ことが難しいツールになっているから、ね。ツイッターおもしろいからやるけど、見たくないものを見てしまう→じゃあ見るなよ はちょっと乱暴すぎるよね。
そして、そういうことを考えてて思ったんですけど、これもはやテレビとほぼおなじじゃね?なんて。
受動的な情報ツール源の特徴ということなのかもしれませんが、テレビも「じゃあ見なければいい」というのは乱暴で、「いつも面白いから見てるけど、たまにやめろよダメだろみたいな内容」があるよね。
そういう例が子供に見せたくない番組云年連続1位のロンハーとかなんだろうけど。いわゆる規制といやつ。
だからまぁ、今のツイッターって、「規制のないテレビ」なんじゃないかと思ったんです。だからくそおもしろい。映像かどうかという大きな違いはあるけども。
でもあまりやりすぎてしまうと規制をかけざるを得なくなって、つまんなくなっちゃうことがあるんじゃないんですかね?どうなんですかね?(疑問形)
そうならないためには、ある程度の節度をユーザー一人ひとりが意識を持ってうんぬんかんぬん
まぁそんなことはもう無理だろうけどね!!!ユーザー一人ひとりの意識とか、絶対に無理だね!!!!
僕は個人的に気をつけたいと思います。
あ、でも規制をかけることができるのであれば、それこそ2ちゃんとかもかかっていてもおかしくないのかな?思いつきでしゃべっているからよく知らんけど、「ネット」だから規制できずにいるのが現状だったりするんかな。
てか気づいたら規制云々の話になってるけど、そんなおおげさな話ではなかったはずなのに…ただただポケモンのネタばれをされたのがくやしry
まとまりなくなっちゃったけど、まぁ、思いつきのアウトプットでしたー。
おわり
いまはネットが能動的な情報収集法で、テレビが受動的な情報収集法
という風に一般的に言われているんですけど、なんかSNSの台頭により、だんだんそうでもなくなってきているのかなぁ、なんて思いました。。
というか、ネットのなかでもSNSというものは、かなり受動的な情報収集ツールになっているな、と。
(ちなみにここではSNSといっても主にツイッターのこと中心で書きますよ。)
だってたいていの人って、友達とか趣味が合う人とかをフォローしてて、その人たちってなんか突然
「どうした急に?!」
みたいなつぶやきとかリツイートとかすると思うんですよ。
「どうした急に?!」じゃなくてもいいんですけど、そういうおもいがけずに入ってきたつぶやきにおける情報って、どう考えても受動的に受けてるなーって。
もちろん例外もいて、情報収集のためにツイッターをやっており、それら関連の人(ex.経済評論家)しかフォローせず、その人たちが例外的行為(ex.経済以外のつぶやき)を行わないとかだと、完全に主体的に情報を得ていますが、まぁそんな人あんまりいないし、フォローしてる人が例外的行為をしないというのもほぼないことだと思うんですけど。
だから、なんか、時々あるじゃないですか。「お前がフォローしたのが悪い」みたいな意見。
あれってどうなんだろう?と。
なんかここまで書いてて思ったんですけど、これは別にツイッターだけでなくブログでもそうですね。てかあれですね、「誰かが行うなにかしらの表現を定期的に見るツール」すべてにあてはまりますね。表現っていうのは文章とか動画うpとか
いや、まぁでも結局何が言いたいかって、多くの人が知りたくないと思っている情報について流してしまうのは、その人のエゴでしかないんではないかと!たとえどんだけ「自由につぶやけなければ意味がない」とか言われても、最低限そこだけは守らないといけないんじゃないかと!
ここでいう多くの人っていうのは過半数って意味ではなく、あくまで「多くの人」です。
つまりSNSでネタばれしてんじゃねーよカスっていうことと、発売されたからといって自由につぶやいていいもんでもないんじゃないんかな?っていうことです。
事前に「私はネタばれします」みたいなことがわかるんだったらね、いいんだけど(それこそブログならネタばれきをつけてとか最初に書くだけで見なくて済む)、ツイッターとかはもう140字しかないからネタばれってあったとしても視界に入っちゃうもんね。
そこはもっと気をつけてつぶやくべきなのかなと。ツイッターはすでに「望んでいないものを見ないようにする」ことが難しいツールになっているから、ね。ツイッターおもしろいからやるけど、見たくないものを見てしまう→じゃあ見るなよ はちょっと乱暴すぎるよね。
そして、そういうことを考えてて思ったんですけど、これもはやテレビとほぼおなじじゃね?なんて。
受動的な情報ツール源の特徴ということなのかもしれませんが、テレビも「じゃあ見なければいい」というのは乱暴で、「いつも面白いから見てるけど、たまにやめろよダメだろみたいな内容」があるよね。
そういう例が子供に見せたくない番組云年連続1位のロンハーとかなんだろうけど。いわゆる規制といやつ。
だからまぁ、今のツイッターって、「規制のないテレビ」なんじゃないかと思ったんです。だからくそおもしろい。映像かどうかという大きな違いはあるけども。
でもあまりやりすぎてしまうと規制をかけざるを得なくなって、つまんなくなっちゃうことがあるんじゃないんですかね?どうなんですかね?(疑問形)
そうならないためには、ある程度の節度をユーザー一人ひとりが意識を持ってうんぬんかんぬん
まぁそんなことはもう無理だろうけどね!!!ユーザー一人ひとりの意識とか、絶対に無理だね!!!!
僕は個人的に気をつけたいと思います。
あ、でも規制をかけることができるのであれば、それこそ2ちゃんとかもかかっていてもおかしくないのかな?思いつきでしゃべっているからよく知らんけど、「ネット」だから規制できずにいるのが現状だったりするんかな。
てか気づいたら規制云々の話になってるけど、そんなおおげさな話ではなかったはずなのに…ただただポケモンのネタばれをされたのがくやしry
まとまりなくなっちゃったけど、まぁ、思いつきのアウトプットでしたー。
おわり
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