最近フラッシュバックという現象に興味を持っています。
※
フラッシュバックとは-はてなキーワード(■■■)
1過去の記憶が侵入すること。PTSDの定義で言う再体験の一つ。
2映画や映像などの作成技術の一つ。
3麻薬中毒者による幻覚症状の再現
フラッシュバック (flashback) とは、強いトラウマ体験(心的外傷)を受けた場合に、後になってその記憶が、突然かつ非常に鮮明に思い出されたり、同様に夢に見たりする現象。(Wikipedia参照)
まぁ、突然、むかし体験した映像を見たり、音を聞いたり、感情があふれ出たりする現象です。「思い出す」ことではなくって、同じ体験を「再び体験する」ことです。
そこまで詳しくないので知らないんですけど、狭義的には、動悸が激しくなることや手足が震えることなど、身体的反応が見えてくるような強い情動反応(感情の強い動き的な意味)を起こす再体験のことを指すようです。
それで、僕はほぼ毎日このフラッシュバックに苦しんでいます。まぁ苦しむといっても深刻に悩んでいるわけではないんですけど。
「自分に今起きているこの現象には、一体どんな名称がつけられているんだろう」
と気になりまして、調べてみたところ、フラッシュバックという現象であることがわかった、って感じです。
特に僕がよく再体験するのは過去にあった恥ずかしい体験で、例えば一発ギャグをみんなの前でやらされて全力ですべった時に感じたあの恥ずかしさが、今でも鮮明に思い出されて、もう何がなんだかわかんなくなって、
死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい
って叫ばざるを得ない状態になります。それを再体験すると同時に急に口からその言葉が発せられる。なんの自制心もきかない。
こういう体験がめちゃくちゃあって、日替わりで違う体験をしています。デートで失敗したときの思い出とか、お酒飲んでやらかしたときのこととか。そんな強いトラウマ体験ってほどでもない些細な日常生活であるようなことにでも、フラッシュバックと言うのは起きるということです。
それが現状の僕なんですけども、やはりこんなことが起きていると思うこともありまして。
というのは、僕はこのように自分の様々な失敗体験を笑い話にすることもできず今でもそのときの苦しみを味わうような生活をしていて、その体験がいつ襲ってくるかもわからないし、いつ治るかもわからない、そもそも治るのかがわからない現状、「若者は多くの失敗をしろ」なんて言葉を容易に受け入れることができません。
多くの失敗をすることで、それをばねに、よりステップアップしていけるという理屈はわかるのですが、でも僕の場合、その失敗経験のせいでいつまで経ってもそのときの失敗の時に感じた恥ずかしさやらに襲われ、苦しみ、死にたくなってしまいます。
いまでさえこんな状況で、今後ますます失敗経験を増やしていったら、自分はどれだけのトラウマを抱えて、どれだけの心理的弊害を抱えていかなければならないんだろうか、と。ぼくそのうち間違いなく死にますよ。
そんなこんななんですけど、まぁ、とりあえず若者だからいっぱい失敗しよう!なんて意気込まずにも失敗はするだろうし、失敗したら結局は同じように死にたくなるだろうし、でもまだ死にたくないですし、だからなんとかこんな現象は治したいわけです。
フラッシュバックからの回復とは、その体験が過去のなんでもない思い出のなかにまじりあっていくことだそうです。まぁ、そうか。確かに僕の再体験はまさにその瞬間だけを切り取ってその気持ちを体験しているので、それがその他の思い出と一緒に、特別なものでは無い思い出になってくれさえすれば治るのか。
問題はどうすればなんでもない思い出に混ざっていってくれるのかってところなんですけどね。うん。
それって、僕が今やっていることと全く真逆のことだと思うんですよ。
というのも、僕は「その時その瞬間に感じたものを大事にしたい。それが本当の想いだから。」っていう思考のもと、こうしてブログを書き続けているわけで、その瞬間を切り取ったものを載せて言っているわけで。
でも、フラッシュバックを治すためにはそれらを他の思い出のように「なにも特別でないもの」にしないといけないんですよね。あぁ、真逆や。
てかつまりこのブログこそがそれらの記憶を思い出す、再体験する最高のツールになっていて、諸悪の根源ではないのか、という話です。その可能性が大いに考えられるよなぁ。あぁ。
そんなに恥ずかしかった話とか、してないけどね。それに抱いた感情を載せるような記事はかなり減った感あるけどね。(それは感情の揺れ動きがない生活(このことについても後日書きたい)をしていることに由来する)
おわり
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フラッシュバックとは-はてなキーワード(■■■)
1過去の記憶が侵入すること。PTSDの定義で言う再体験の一つ。
2映画や映像などの作成技術の一つ。
3麻薬中毒者による幻覚症状の再現
フラッシュバック (flashback) とは、強いトラウマ体験(心的外傷)を受けた場合に、後になってその記憶が、突然かつ非常に鮮明に思い出されたり、同様に夢に見たりする現象。(Wikipedia参照)
まぁ、突然、むかし体験した映像を見たり、音を聞いたり、感情があふれ出たりする現象です。「思い出す」ことではなくって、同じ体験を「再び体験する」ことです。
そこまで詳しくないので知らないんですけど、狭義的には、動悸が激しくなることや手足が震えることなど、身体的反応が見えてくるような強い情動反応(感情の強い動き的な意味)を起こす再体験のことを指すようです。
それで、僕はほぼ毎日このフラッシュバックに苦しんでいます。まぁ苦しむといっても深刻に悩んでいるわけではないんですけど。
「自分に今起きているこの現象には、一体どんな名称がつけられているんだろう」
と気になりまして、調べてみたところ、フラッシュバックという現象であることがわかった、って感じです。
特に僕がよく再体験するのは過去にあった恥ずかしい体験で、例えば一発ギャグをみんなの前でやらされて全力ですべった時に感じたあの恥ずかしさが、今でも鮮明に思い出されて、もう何がなんだかわかんなくなって、
死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい
って叫ばざるを得ない状態になります。それを再体験すると同時に急に口からその言葉が発せられる。なんの自制心もきかない。
こういう体験がめちゃくちゃあって、日替わりで違う体験をしています。デートで失敗したときの思い出とか、お酒飲んでやらかしたときのこととか。そんな強いトラウマ体験ってほどでもない些細な日常生活であるようなことにでも、フラッシュバックと言うのは起きるということです。
それが現状の僕なんですけども、やはりこんなことが起きていると思うこともありまして。
というのは、僕はこのように自分の様々な失敗体験を笑い話にすることもできず今でもそのときの苦しみを味わうような生活をしていて、その体験がいつ襲ってくるかもわからないし、いつ治るかもわからない、そもそも治るのかがわからない現状、「若者は多くの失敗をしろ」なんて言葉を容易に受け入れることができません。
多くの失敗をすることで、それをばねに、よりステップアップしていけるという理屈はわかるのですが、でも僕の場合、その失敗経験のせいでいつまで経ってもそのときの失敗の時に感じた恥ずかしさやらに襲われ、苦しみ、死にたくなってしまいます。
いまでさえこんな状況で、今後ますます失敗経験を増やしていったら、自分はどれだけのトラウマを抱えて、どれだけの心理的弊害を抱えていかなければならないんだろうか、と。ぼくそのうち間違いなく死にますよ。
そんなこんななんですけど、まぁ、とりあえず若者だからいっぱい失敗しよう!なんて意気込まずにも失敗はするだろうし、失敗したら結局は同じように死にたくなるだろうし、でもまだ死にたくないですし、だからなんとかこんな現象は治したいわけです。
フラッシュバックからの回復とは、その体験が過去のなんでもない思い出のなかにまじりあっていくことだそうです。まぁ、そうか。確かに僕の再体験はまさにその瞬間だけを切り取ってその気持ちを体験しているので、それがその他の思い出と一緒に、特別なものでは無い思い出になってくれさえすれば治るのか。
問題はどうすればなんでもない思い出に混ざっていってくれるのかってところなんですけどね。うん。
それって、僕が今やっていることと全く真逆のことだと思うんですよ。
というのも、僕は「その時その瞬間に感じたものを大事にしたい。それが本当の想いだから。」っていう思考のもと、こうしてブログを書き続けているわけで、その瞬間を切り取ったものを載せて言っているわけで。
でも、フラッシュバックを治すためにはそれらを他の思い出のように「なにも特別でないもの」にしないといけないんですよね。あぁ、真逆や。
てかつまりこのブログこそがそれらの記憶を思い出す、再体験する最高のツールになっていて、諸悪の根源ではないのか、という話です。その可能性が大いに考えられるよなぁ。あぁ。
そんなに恥ずかしかった話とか、してないけどね。それに抱いた感情を載せるような記事はかなり減った感あるけどね。(それは感情の揺れ動きがない生活(このことについても後日書きたい)をしていることに由来する)
おわり
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