続き
16時、僕はここで初めて家をでた。
外は人通りが多く、街全体があわてふためいているように感じた。
店は全て閉まっており、もちろん、面接先も閉まっていた。
僕が次に向かったの体育会執行委員会室だった。
「仕事しないと!必要な資料取ってこよう。」
そう思った。
おかしい。こんなときに何を考えているんだろう。しかし、こんなときだからこそ、僕は「日常」を送りたかったのかもしれない。「日常」にすがりついていたのかもしれない。
木々は倒れ、家の屋根のレンガは崩れ道路に散乱し、信号はとまり、車が交錯する。
そんな非日常を見ながら、日常を送るために執行委員会室に。
そこには日常とは掛け離れた、見るも無残な姿の執行委員会室があった。
必要な資料の無事を確認し、それをかばんにいれ、少し掃除をしてから立ち去った。その最中も何回も余震が続いていた。
少しずつ冷静になってきたのか、はたまた少しずつおかしくなっていったのか。食糧の確保が必要だと感じ、ツイッターから得た情報を頼りにあいているセブンイレブンに向かった。
外の風景を見ながら自分が高揚しているのがわかった。あぁ、あぁ。
「非日常」を受け入れ始めた自分。
ほんとに地震が起きたんだ。
公園にあふれかえる人々。コンビニにむらがる人々。一種のお祭りが開催されたかのようだった。
セブンイレブンについた。みんなも情報を得たのだろうか、異様な光景。コンビニにできる長蛇の列。
なかに入ると、アルコールの匂いがただよってくる。どうやら瓶が割れて中身が床に垂れ流しのようだ。
食糧品はほぼ品切れで、残っているのはお菓子やら文房具やら、飲み物だった。
飲み物を買おうと思い商品を手にとり列の最後尾についたが財布を忘れてしまった。ので商品を元に戻し、帰宅した。
電気が使えないことを確認した。電気が使えずに夜一人でこの部屋にいては危ないと思い、mixiとツイッターで一緒に過ごす人を呼び掛けた。明るいうちに移動できるようにしたかった。
ケータイの電池も切れそうだったので、頼むから反応してくれ!と思った。
結果、mixiで反応があったのでその人(ワンゲル)に「平塚ミニストップ集合」とだけ言い、家にあった食糧品を持って平塚ミニストップに向かった。
途中、動いていた信号で止まった際、連絡を取ったが音信不通だったのでもしかしたらと思い「新着メール問い合わせ」を使った。すると新着メールが20件ほど入っていた。「新着メール問い合わせ」をしないとメールが届かないことを知った。
そこで家族や友達の安否を確認できた。また、ワンゲルのメーリスで「家の電気が復旧した」という情報が入った。
mixiに反応した人ともう一人ワンゲルの人と合流した。
ここで自分が精神的にかなりきていることに気付いた。知り合いが現実として目の前にいるという事実の安堵感。とにかくとにかく不安でしかたなかったが、生きているということがわかり、自分だけが無事であるわけではないということに安らぎを覚えた。
とりあえず集まった3人で電気がつながる家に行くことにした。
電気がつながる家に着き、みんなの知ってる情報交換をした。電気がつながっていないことを電気がつながる家の家主は知らなかったようで、だからワンゲルの人たちを電気がつながる家に呼ぶことにし、みんなで過ごすことにした。
そのおかげで夜は缶詰やパンなど食糧品は揃っていたし、水もでるなど何不自由なく過ごすことができた。
みんなでトランプをしながら、励ましあいながら、僕はワンゲルでの立場を考え明るくつとめながら、ラジオで情報収集につとめた。
みんなといたからか、それともワンゲルはこういうライフラインが使えなかったりする状況に慣れているからか、見かけ上はトランプを楽しみながらすることができた。
夜も遅くなってきたので寝袋に入り、睡眠をとる。余震により度々起きることにはなったが、寝むることはできた。
こうして1日目が終わり、避難生活2日目に入る。
とりあえず僕は、いまのところ地震でおきたこの状況を楽しむ余裕があるようだ。
16時、僕はここで初めて家をでた。
外は人通りが多く、街全体があわてふためいているように感じた。
店は全て閉まっており、もちろん、面接先も閉まっていた。
僕が次に向かったの体育会執行委員会室だった。
「仕事しないと!必要な資料取ってこよう。」
そう思った。
おかしい。こんなときに何を考えているんだろう。しかし、こんなときだからこそ、僕は「日常」を送りたかったのかもしれない。「日常」にすがりついていたのかもしれない。
木々は倒れ、家の屋根のレンガは崩れ道路に散乱し、信号はとまり、車が交錯する。
そんな非日常を見ながら、日常を送るために執行委員会室に。
そこには日常とは掛け離れた、見るも無残な姿の執行委員会室があった。
必要な資料の無事を確認し、それをかばんにいれ、少し掃除をしてから立ち去った。その最中も何回も余震が続いていた。
少しずつ冷静になってきたのか、はたまた少しずつおかしくなっていったのか。食糧の確保が必要だと感じ、ツイッターから得た情報を頼りにあいているセブンイレブンに向かった。
外の風景を見ながら自分が高揚しているのがわかった。あぁ、あぁ。
「非日常」を受け入れ始めた自分。
ほんとに地震が起きたんだ。
公園にあふれかえる人々。コンビニにむらがる人々。一種のお祭りが開催されたかのようだった。
セブンイレブンについた。みんなも情報を得たのだろうか、異様な光景。コンビニにできる長蛇の列。
なかに入ると、アルコールの匂いがただよってくる。どうやら瓶が割れて中身が床に垂れ流しのようだ。
食糧品はほぼ品切れで、残っているのはお菓子やら文房具やら、飲み物だった。
飲み物を買おうと思い商品を手にとり列の最後尾についたが財布を忘れてしまった。ので商品を元に戻し、帰宅した。
電気が使えないことを確認した。電気が使えずに夜一人でこの部屋にいては危ないと思い、mixiとツイッターで一緒に過ごす人を呼び掛けた。明るいうちに移動できるようにしたかった。
ケータイの電池も切れそうだったので、頼むから反応してくれ!と思った。
結果、mixiで反応があったのでその人(ワンゲル)に「平塚ミニストップ集合」とだけ言い、家にあった食糧品を持って平塚ミニストップに向かった。
途中、動いていた信号で止まった際、連絡を取ったが音信不通だったのでもしかしたらと思い「新着メール問い合わせ」を使った。すると新着メールが20件ほど入っていた。「新着メール問い合わせ」をしないとメールが届かないことを知った。
そこで家族や友達の安否を確認できた。また、ワンゲルのメーリスで「家の電気が復旧した」という情報が入った。
mixiに反応した人ともう一人ワンゲルの人と合流した。
ここで自分が精神的にかなりきていることに気付いた。知り合いが現実として目の前にいるという事実の安堵感。とにかくとにかく不安でしかたなかったが、生きているということがわかり、自分だけが無事であるわけではないということに安らぎを覚えた。
とりあえず集まった3人で電気がつながる家に行くことにした。
電気がつながる家に着き、みんなの知ってる情報交換をした。電気がつながっていないことを電気がつながる家の家主は知らなかったようで、だからワンゲルの人たちを電気がつながる家に呼ぶことにし、みんなで過ごすことにした。
そのおかげで夜は缶詰やパンなど食糧品は揃っていたし、水もでるなど何不自由なく過ごすことができた。
みんなでトランプをしながら、励ましあいながら、僕はワンゲルでの立場を考え明るくつとめながら、ラジオで情報収集につとめた。
みんなといたからか、それともワンゲルはこういうライフラインが使えなかったりする状況に慣れているからか、見かけ上はトランプを楽しみながらすることができた。
夜も遅くなってきたので寝袋に入り、睡眠をとる。余震により度々起きることにはなったが、寝むることはできた。
こうして1日目が終わり、避難生活2日目に入る。
とりあえず僕は、いまのところ地震でおきたこの状況を楽しむ余裕があるようだ。
PR
この記事にコメントする