トラウマ
耐えられないような体験・その痕跡。内的原因(欲動興奮的)と外的原因(侵襲破壊的)がある。
幼少期などにおける耐え難き体験、大人になっても克服できていない苦い思い出。
なんかうえの表現見るとそれほどでもないって思うけど、でもなんかそれっぽい感じで地震が来るたびにものすごい恐怖心に襲われ、体中が震え、しばらく過呼吸みたいな状態になります。
でもなんか自分がこれはトラウマだ、って思えば思うほどひどくなっていっているようにも感じるのであんまりそう思わないようにしたいなーて思います。
いやでもほんと、冗談じゃなく怖い。夜とかマジで。
さっきあった(22時くらい)震度4×2の地震からずっと胸がドキドキです。なんか、常におびえているというか、大会前日の夜みたいな。緊張感。
なんかつくばって、今回の地震であった揺れのすべてにおいて、ゆれてるほうだと思う。
なんかうん、ほぼ震度3以上だし。新潟のやつくらいじゃないか?離れててそこまでつよくなかったの。長野(だっけ?)であったやつですら震度4だし。一体何なんだ。精神的に追い詰めないでくれ。誰かさんは電話するとか言ってしてこないし。(愚痴)
いやね、でもこんなことばっかりいうと鶴岡帰ってこいってみんなからめっちゃ言われると思うけど、
ライフラインが完璧に使えるのに停電の対象外になった地域でもあるので、まぁ必ずしも悪いことばかりではないんだ。むしろ山形で停電とかなったら凍え死ぬと思うんだ。
食糧だって疎開していく方々から大量にいただいてるからむしろ地震前よりも困らないような状態という。わけわからん。
とりあえず、まだまだやること盛りだくさん、というかすぐにやれるようにするために待機しないといけないような、そんな状態なので、まだまだ安全だと思えている間はつくばに滞在し続けます(´∀`)
ぜ、ぜんぜんさみしくなんかないから、電話なんてしてくれなくてもいいんだからね!!!!いや、でもほんとに電話とかしていいのかな?←
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3月12日(土)
電気が使える友達宅にて一晩を過ごした。
夜、寝ている間も何回も何回も余震が起き、そのたびに目を覚まし、すぐに逃げることができる体勢を整えた。
ぐっすりとはいかずとも、眠ることができた。mixiやツイッターで、「心配すぎて眠れなかった」「怖くて眠れなかった」などつぶやかれているのを見て、自分は精神的にはかなり落ち着いているのだろうと感じた。
朝8時ごろ。ツイッターで近くの避難所でご飯と水を配布しているという情報を得た。少しでも食糧と水を確保しておきたかったので避難所に向かうことにする。
とてもいい天気だった。朝日がまぶしい。外に出ると前日ほどの人通りはなく、日常に近いと感じた。
避難所についた。近所の中学校。体育館にみんな避難していて、そこでご飯と水を配布していた。みんな毛布にくるまっていたので、きっと寒い夜を過ごしたのだろうと思った。
ご飯と水を受け取るとき、「避難者名簿」みたいなものに名前を書いた。これで本格的に避難者になったように感じた。
電気のつく家に帰宅し、朝食をとる。もらってきたものではなく、みんなが各自持ってきたパン等を食べた。
朝食をとってから、少しだらだらした後、自分の家に帰った。ツイッターでほかの地域のライフラインが復旧している等の情報を得ることができたので、もしかしたら自分の家のライフラインも使えるのではないかと思ったからだ。
しかし、そんな期待は打ち砕かれた。水電気ガスが使えず。とりあえず部屋の整理をさらっとして、着替えてまた電気のつく家に行くことにした。行こうとしたらトトロから電話がかかってきた。どうやら大丈夫のようだった。話途中で切れてしまったが、きっと、大丈夫。その後すぐに親からも電話がかかってきた。電話が通じるようになったのかーと思い、ゆーかにかけまくるが全くかからなかった。
すき家やBig Boyなど、飲食店が活動を再開しているのを確認する。店の中は人だらけだ。バイトの面接先はまだしまっているようだった。
昼食をとる。少なめ。今後を考えておなかいっぱいは食べないように、胃袋を小さくするように。
午後。特にやることもなく、だらだらと過ごす。ジェンガをして負けたほうが「すべる話」をすることに。
変な感覚だった。
特にこれと言って問題がない。つらい状況にあるわけでもない。なのに「避難者」として扱われ、また、「避難者」として行動していた、非日常を繰り返していたのに、なのになんて平和な生活を送っているのだろうと。
日常のようで非日常を過ごす時間。まったりと過ぎていく。その間にもラジオから流れる宮城や岩手、福島の惨状。mixiやツイッターで飛び交う情報。まるで自分たちだけ違う世界で生きているかのような感覚だった。
18時以降から停電するという話を聞いていたので17時にはご飯を作って食べる。ここまでは本当にもう大丈夫だろ、と余裕だった。
しかし、福島で原発が大変なことになっているというニュースを聞き、その場が凍りつく。「福島近くね?」「いやでも10キロ以内の人が逃げればいいんじゃないの?」「放射能なめんな」「そんななの?だいじょうぶじゃね?」「いやいや、つくばなんて近いから危ない。オレ実家に帰る」
ずっとお気楽発言を繰り返していたのが僕である。そしてもう一人がいつも知ったかぶりをするやつである。知ったかぶりをするやつの話だったけど、あまりにもあつくやばいやばいといわれてしまい、周りの人たちもだんだんとやばいんじゃね?と不安を覚えるようになる。みんなすぐにつくばから逃げれるようにとATMに駆け込みお金を下ろす。
お金をおろし、電気がつく家に入る直前で、ゆーかから電話が来ていたことに気付き、かけなおす。放射能がどうのこうの大変らしいからもしかしたら西に逃亡するので泊めてください的な。これ、ただゆーかに会いたかっただけなのかもしれないとかいまさらだけど思ってしまうような言動だった←
帰ってきたら、放射能別に大丈夫だよーみたいなことになっていた。さすが知ったかぶり。それをさも当然のごとく伝えてくる。
20時には電気を消して寝る体制に入る。完全に山の上での生活スタイルと同じだ。そう、僕たちワンゲルはいざとなったら電気なんて必要ない。そういう世界での生き方を知っている。
眠りについて22時ごろ。余震で目を覚ます。結構ぐっすりと眠れた。
ツイッターで色々情報を得ようと開いたら、僕の好きな居酒屋が無料でご飯を出すというサービスを行っているというつぶやきを見つける。
友達と一緒に行き、鍋を揚げ物を無料で頂いてきた。「こんなことやって大丈夫なんですか…?」と聞くと、元気よく、「ぜんぜん大丈夫じゃねーよ!」と言われた。ここはつくば一の居酒屋だと思った。
そして再び帰宅。23時半ごろ。その後は眠れなかったのでブログを書いた。
ブログを書いていて、そのときの状況を思い出せば思い出すほど、自分なにやっているんだろうと思ってくる。地震直後の行動は本当に異常だった。
3月13日(日)
全てが日常に戻り始めた。
電気のつく家以外の家も電気がつき始め、ガスがでてくる。水の配給をやめるかも、避難所を閉鎖する、という情報が飛び始める。
僕も、いつまでも居候しているのもあれなので家に帰る。電気が使えるので基本的に困らなく生活できる。水は18時以降に一時的に流れるようにするということだった。
友達がうちに来てソラニンを見ていくという余裕を見せ、僕は部屋の片づけをし、執の仕事を多少行う。これはもはや日常といってもいいだろう。
そう、もうすでに僕は日常生活を行っている。
心配ごとは、7割の確率で大きい地震がもう一回来るという話。震源地は震度6強レベルの地震になるらしい。またあの揺れを経験するのだけは勘弁…。
しかし、「被災地に住んでいる僕」は不安がっていないのにかなりまだ心配でいる人たちがいるのを見ていると、自分はすごく楽観的なのか、もしくは被災地にいるからこそわかる安堵感なのか。とにかく世間とのギャップがあるような気がした。
もちろん、まだまだ宮城岩手辺りは大変だし福島の原発も人体に影響ない程度だと言え危ないし、千葉では鳥インフルエンザとかいいはじめるし実は全く報道されていない茨城北の人たちはライフライン全く使えないのに何の支援もない状態とか、すごく不安定な状態であるというのは間違いない。
だけど、だけど、
僕は大丈夫!もう避難生活はおわりなのです!非日常はもう終わって、また替わりようのない平凡な、なんとなく幸せな毎日がだらっと続いていくのです!
電気が使える友達宅にて一晩を過ごした。
夜、寝ている間も何回も何回も余震が起き、そのたびに目を覚まし、すぐに逃げることができる体勢を整えた。
ぐっすりとはいかずとも、眠ることができた。mixiやツイッターで、「心配すぎて眠れなかった」「怖くて眠れなかった」などつぶやかれているのを見て、自分は精神的にはかなり落ち着いているのだろうと感じた。
朝8時ごろ。ツイッターで近くの避難所でご飯と水を配布しているという情報を得た。少しでも食糧と水を確保しておきたかったので避難所に向かうことにする。
とてもいい天気だった。朝日がまぶしい。外に出ると前日ほどの人通りはなく、日常に近いと感じた。
避難所についた。近所の中学校。体育館にみんな避難していて、そこでご飯と水を配布していた。みんな毛布にくるまっていたので、きっと寒い夜を過ごしたのだろうと思った。
ご飯と水を受け取るとき、「避難者名簿」みたいなものに名前を書いた。これで本格的に避難者になったように感じた。
電気のつく家に帰宅し、朝食をとる。もらってきたものではなく、みんなが各自持ってきたパン等を食べた。
朝食をとってから、少しだらだらした後、自分の家に帰った。ツイッターでほかの地域のライフラインが復旧している等の情報を得ることができたので、もしかしたら自分の家のライフラインも使えるのではないかと思ったからだ。
しかし、そんな期待は打ち砕かれた。水電気ガスが使えず。とりあえず部屋の整理をさらっとして、着替えてまた電気のつく家に行くことにした。行こうとしたらトトロから電話がかかってきた。どうやら大丈夫のようだった。話途中で切れてしまったが、きっと、大丈夫。その後すぐに親からも電話がかかってきた。電話が通じるようになったのかーと思い、ゆーかにかけまくるが全くかからなかった。
すき家やBig Boyなど、飲食店が活動を再開しているのを確認する。店の中は人だらけだ。バイトの面接先はまだしまっているようだった。
昼食をとる。少なめ。今後を考えておなかいっぱいは食べないように、胃袋を小さくするように。
午後。特にやることもなく、だらだらと過ごす。ジェンガをして負けたほうが「すべる話」をすることに。
変な感覚だった。
特にこれと言って問題がない。つらい状況にあるわけでもない。なのに「避難者」として扱われ、また、「避難者」として行動していた、非日常を繰り返していたのに、なのになんて平和な生活を送っているのだろうと。
日常のようで非日常を過ごす時間。まったりと過ぎていく。その間にもラジオから流れる宮城や岩手、福島の惨状。mixiやツイッターで飛び交う情報。まるで自分たちだけ違う世界で生きているかのような感覚だった。
18時以降から停電するという話を聞いていたので17時にはご飯を作って食べる。ここまでは本当にもう大丈夫だろ、と余裕だった。
しかし、福島で原発が大変なことになっているというニュースを聞き、その場が凍りつく。「福島近くね?」「いやでも10キロ以内の人が逃げればいいんじゃないの?」「放射能なめんな」「そんななの?だいじょうぶじゃね?」「いやいや、つくばなんて近いから危ない。オレ実家に帰る」
ずっとお気楽発言を繰り返していたのが僕である。そしてもう一人がいつも知ったかぶりをするやつである。知ったかぶりをするやつの話だったけど、あまりにもあつくやばいやばいといわれてしまい、周りの人たちもだんだんとやばいんじゃね?と不安を覚えるようになる。みんなすぐにつくばから逃げれるようにとATMに駆け込みお金を下ろす。
お金をおろし、電気がつく家に入る直前で、ゆーかから電話が来ていたことに気付き、かけなおす。放射能がどうのこうの大変らしいからもしかしたら西に逃亡するので泊めてください的な。これ、ただゆーかに会いたかっただけなのかもしれないとかいまさらだけど思ってしまうような言動だった←
帰ってきたら、放射能別に大丈夫だよーみたいなことになっていた。さすが知ったかぶり。それをさも当然のごとく伝えてくる。
20時には電気を消して寝る体制に入る。完全に山の上での生活スタイルと同じだ。そう、僕たちワンゲルはいざとなったら電気なんて必要ない。そういう世界での生き方を知っている。
眠りについて22時ごろ。余震で目を覚ます。結構ぐっすりと眠れた。
ツイッターで色々情報を得ようと開いたら、僕の好きな居酒屋が無料でご飯を出すというサービスを行っているというつぶやきを見つける。
友達と一緒に行き、鍋を揚げ物を無料で頂いてきた。「こんなことやって大丈夫なんですか…?」と聞くと、元気よく、「ぜんぜん大丈夫じゃねーよ!」と言われた。ここはつくば一の居酒屋だと思った。
そして再び帰宅。23時半ごろ。その後は眠れなかったのでブログを書いた。
ブログを書いていて、そのときの状況を思い出せば思い出すほど、自分なにやっているんだろうと思ってくる。地震直後の行動は本当に異常だった。
3月13日(日)
全てが日常に戻り始めた。
電気のつく家以外の家も電気がつき始め、ガスがでてくる。水の配給をやめるかも、避難所を閉鎖する、という情報が飛び始める。
僕も、いつまでも居候しているのもあれなので家に帰る。電気が使えるので基本的に困らなく生活できる。水は18時以降に一時的に流れるようにするということだった。
友達がうちに来てソラニンを見ていくという余裕を見せ、僕は部屋の片づけをし、執の仕事を多少行う。これはもはや日常といってもいいだろう。
そう、もうすでに僕は日常生活を行っている。
心配ごとは、7割の確率で大きい地震がもう一回来るという話。震源地は震度6強レベルの地震になるらしい。またあの揺れを経験するのだけは勘弁…。
しかし、「被災地に住んでいる僕」は不安がっていないのにかなりまだ心配でいる人たちがいるのを見ていると、自分はすごく楽観的なのか、もしくは被災地にいるからこそわかる安堵感なのか。とにかく世間とのギャップがあるような気がした。
もちろん、まだまだ宮城岩手辺りは大変だし福島の原発も人体に影響ない程度だと言え危ないし、千葉では鳥インフルエンザとかいいはじめるし実は全く報道されていない茨城北の人たちはライフライン全く使えないのに何の支援もない状態とか、すごく不安定な状態であるというのは間違いない。
だけど、だけど、
僕は大丈夫!もう避難生活はおわりなのです!非日常はもう終わって、また替わりようのない平凡な、なんとなく幸せな毎日がだらっと続いていくのです!
続き
16時、僕はここで初めて家をでた。
外は人通りが多く、街全体があわてふためいているように感じた。
店は全て閉まっており、もちろん、面接先も閉まっていた。
僕が次に向かったの体育会執行委員会室だった。
「仕事しないと!必要な資料取ってこよう。」
そう思った。
おかしい。こんなときに何を考えているんだろう。しかし、こんなときだからこそ、僕は「日常」を送りたかったのかもしれない。「日常」にすがりついていたのかもしれない。
木々は倒れ、家の屋根のレンガは崩れ道路に散乱し、信号はとまり、車が交錯する。
そんな非日常を見ながら、日常を送るために執行委員会室に。
そこには日常とは掛け離れた、見るも無残な姿の執行委員会室があった。
必要な資料の無事を確認し、それをかばんにいれ、少し掃除をしてから立ち去った。その最中も何回も余震が続いていた。
少しずつ冷静になってきたのか、はたまた少しずつおかしくなっていったのか。食糧の確保が必要だと感じ、ツイッターから得た情報を頼りにあいているセブンイレブンに向かった。
外の風景を見ながら自分が高揚しているのがわかった。あぁ、あぁ。
「非日常」を受け入れ始めた自分。
ほんとに地震が起きたんだ。
公園にあふれかえる人々。コンビニにむらがる人々。一種のお祭りが開催されたかのようだった。
セブンイレブンについた。みんなも情報を得たのだろうか、異様な光景。コンビニにできる長蛇の列。
なかに入ると、アルコールの匂いがただよってくる。どうやら瓶が割れて中身が床に垂れ流しのようだ。
食糧品はほぼ品切れで、残っているのはお菓子やら文房具やら、飲み物だった。
飲み物を買おうと思い商品を手にとり列の最後尾についたが財布を忘れてしまった。ので商品を元に戻し、帰宅した。
電気が使えないことを確認した。電気が使えずに夜一人でこの部屋にいては危ないと思い、mixiとツイッターで一緒に過ごす人を呼び掛けた。明るいうちに移動できるようにしたかった。
ケータイの電池も切れそうだったので、頼むから反応してくれ!と思った。
結果、mixiで反応があったのでその人(ワンゲル)に「平塚ミニストップ集合」とだけ言い、家にあった食糧品を持って平塚ミニストップに向かった。
途中、動いていた信号で止まった際、連絡を取ったが音信不通だったのでもしかしたらと思い「新着メール問い合わせ」を使った。すると新着メールが20件ほど入っていた。「新着メール問い合わせ」をしないとメールが届かないことを知った。
そこで家族や友達の安否を確認できた。また、ワンゲルのメーリスで「家の電気が復旧した」という情報が入った。
mixiに反応した人ともう一人ワンゲルの人と合流した。
ここで自分が精神的にかなりきていることに気付いた。知り合いが現実として目の前にいるという事実の安堵感。とにかくとにかく不安でしかたなかったが、生きているということがわかり、自分だけが無事であるわけではないということに安らぎを覚えた。
とりあえず集まった3人で電気がつながる家に行くことにした。
電気がつながる家に着き、みんなの知ってる情報交換をした。電気がつながっていないことを電気がつながる家の家主は知らなかったようで、だからワンゲルの人たちを電気がつながる家に呼ぶことにし、みんなで過ごすことにした。
そのおかげで夜は缶詰やパンなど食糧品は揃っていたし、水もでるなど何不自由なく過ごすことができた。
みんなでトランプをしながら、励ましあいながら、僕はワンゲルでの立場を考え明るくつとめながら、ラジオで情報収集につとめた。
みんなといたからか、それともワンゲルはこういうライフラインが使えなかったりする状況に慣れているからか、見かけ上はトランプを楽しみながらすることができた。
夜も遅くなってきたので寝袋に入り、睡眠をとる。余震により度々起きることにはなったが、寝むることはできた。
こうして1日目が終わり、避難生活2日目に入る。
とりあえず僕は、いまのところ地震でおきたこの状況を楽しむ余裕があるようだ。
16時、僕はここで初めて家をでた。
外は人通りが多く、街全体があわてふためいているように感じた。
店は全て閉まっており、もちろん、面接先も閉まっていた。
僕が次に向かったの体育会執行委員会室だった。
「仕事しないと!必要な資料取ってこよう。」
そう思った。
おかしい。こんなときに何を考えているんだろう。しかし、こんなときだからこそ、僕は「日常」を送りたかったのかもしれない。「日常」にすがりついていたのかもしれない。
木々は倒れ、家の屋根のレンガは崩れ道路に散乱し、信号はとまり、車が交錯する。
そんな非日常を見ながら、日常を送るために執行委員会室に。
そこには日常とは掛け離れた、見るも無残な姿の執行委員会室があった。
必要な資料の無事を確認し、それをかばんにいれ、少し掃除をしてから立ち去った。その最中も何回も余震が続いていた。
少しずつ冷静になってきたのか、はたまた少しずつおかしくなっていったのか。食糧の確保が必要だと感じ、ツイッターから得た情報を頼りにあいているセブンイレブンに向かった。
外の風景を見ながら自分が高揚しているのがわかった。あぁ、あぁ。
「非日常」を受け入れ始めた自分。
ほんとに地震が起きたんだ。
公園にあふれかえる人々。コンビニにむらがる人々。一種のお祭りが開催されたかのようだった。
セブンイレブンについた。みんなも情報を得たのだろうか、異様な光景。コンビニにできる長蛇の列。
なかに入ると、アルコールの匂いがただよってくる。どうやら瓶が割れて中身が床に垂れ流しのようだ。
食糧品はほぼ品切れで、残っているのはお菓子やら文房具やら、飲み物だった。
飲み物を買おうと思い商品を手にとり列の最後尾についたが財布を忘れてしまった。ので商品を元に戻し、帰宅した。
電気が使えないことを確認した。電気が使えずに夜一人でこの部屋にいては危ないと思い、mixiとツイッターで一緒に過ごす人を呼び掛けた。明るいうちに移動できるようにしたかった。
ケータイの電池も切れそうだったので、頼むから反応してくれ!と思った。
結果、mixiで反応があったのでその人(ワンゲル)に「平塚ミニストップ集合」とだけ言い、家にあった食糧品を持って平塚ミニストップに向かった。
途中、動いていた信号で止まった際、連絡を取ったが音信不通だったのでもしかしたらと思い「新着メール問い合わせ」を使った。すると新着メールが20件ほど入っていた。「新着メール問い合わせ」をしないとメールが届かないことを知った。
そこで家族や友達の安否を確認できた。また、ワンゲルのメーリスで「家の電気が復旧した」という情報が入った。
mixiに反応した人ともう一人ワンゲルの人と合流した。
ここで自分が精神的にかなりきていることに気付いた。知り合いが現実として目の前にいるという事実の安堵感。とにかくとにかく不安でしかたなかったが、生きているということがわかり、自分だけが無事であるわけではないということに安らぎを覚えた。
とりあえず集まった3人で電気がつながる家に行くことにした。
電気がつながる家に着き、みんなの知ってる情報交換をした。電気がつながっていないことを電気がつながる家の家主は知らなかったようで、だからワンゲルの人たちを電気がつながる家に呼ぶことにし、みんなで過ごすことにした。
そのおかげで夜は缶詰やパンなど食糧品は揃っていたし、水もでるなど何不自由なく過ごすことができた。
みんなでトランプをしながら、励ましあいながら、僕はワンゲルでの立場を考え明るくつとめながら、ラジオで情報収集につとめた。
みんなといたからか、それともワンゲルはこういうライフラインが使えなかったりする状況に慣れているからか、見かけ上はトランプを楽しみながらすることができた。
夜も遅くなってきたので寝袋に入り、睡眠をとる。余震により度々起きることにはなったが、寝むることはできた。
こうして1日目が終わり、避難生活2日目に入る。
とりあえず僕は、いまのところ地震でおきたこの状況を楽しむ余裕があるようだ。
2011年3月11日
宮城県三陸沖にて日本史上最大規模の地震が発生した。
僕はつくばに住んでいて、人生で初めて震度6強という揺れを体感した。
家にいた僕は、勉強の息抜きにDSを興じていた。
最初に揺れを感じたときは、「あーまた地震かぁ」程度の感覚だった。つくばではしょっちゅう地震の発生があったため特に慌てるようなことはなかった。
だが、少ししたら結構強い揺れであることを感じ、とりあえず不安定なテレビをベッドに移した。壊れたらもう買い替えれないって思って。
テレビを移している際、どんどんどんどん揺れが大きくなっていった。
どんどんどんどん
机からあらゆる物が落ちていった。ドサドサドサっガシャーン!
ペンも、本も、飴も、蛍光灯も、全部。
キッチンからはパリーン!
皿が割れるが聞こえ、戸棚に入っているカレーのルーだとかポタージュのもとだとか、降ってきた。
「え、おい、これちょ、まじか、えっ」
テレビを移し終え、慌てた僕は机の下に避難。ペンが落ちてくる、本が落ちてくる、飴が落ちてくる、ハサミが落ちてくる。
やばいやばいやばいやばい
心が震え上がるのを感じた。死への恐怖なのか。
情報がほしい
そう思い、ケータイからmixi、ツイッターを見た。一体どこで、どんなことがおきたのか、どのくらいのことが起きてるのか。
みんなつぶやいている。「大地震発生なう」「これほんとにやばくね」「どうしよう」
なかなか揺れがおさまらないなか、有益な情報を得た。「茨城震度6強!」
震度6強
そんなの経験したことがないし、てか震度6強て何?6強て??
隠し切れない動揺。これが、これがずっと噂されていた関東大震災か。と思った。
「震源地宮城!」
…え?宮城が震源地?
あまりにも予想外すぎて一瞬理解できなかった。茨城で、つくばで震度6強の地震の震源地が宮城。じゃあ、宮城はいったい震度なんなんだ、そして山形は?山形は大丈夫なの??
パニック状態になった。自分に「落ち着け落ち着け」と言い聞かせる。まずは自分の安全の確保。
長く続いた揺れがおさまってきた。窓をあけ、ガスの元栓をしめる。ケータイの充電をしようとしたが、電気が使えないようだ。コンセントを片っ端から引っこ抜く。割れた皿を片付ける。
作業中にすぐ余震がくる。そのたびに机の下にもぐり情報収集。このあたりから、だんだんと恐怖心が恐怖心では別のなにかにかわっていっている気がした。
「なんだか映画のなかにいるみたい」
そう思った。そして、そんな状況に、僕はワクワクしてきた。このあとどうなってしまうのだろうか、どう生きていくのだろうか。考えれば考えるほど冷めない熱。興奮。
ドキドキしていた。僕はごくふつうのなにもない刺激のない春休みを過ごす予定でいたのに、まさかこんな刺激的なことに直面できるなんて!
「避難とかしちゃうのかな?外でたら地割れとか起きちゃうのかな?建物がゆれているのを見れるのかな?」
そんなことを考えながら、片付けを行ったり親や絶対に死んでほしくない友達の安否を確認していた。「これで誰かが死んでしまったらどうしよう、おれはどういう顔をするんだろう」
まさに精神状態が異常だった。狂気だった。自分の安全がほぼわかったと感じたから、そんなことを考えることができたのかもしれない。だが、今思うと本当におかしくなっていた。
16時にバイトの面接を控えていた。そんなものやるわけないとは思いつつ、15時くらいから履歴書を書きはじめ、着替えをした。
15時半くらいに違う震源地で強い地震が発生。僕は机のなかに逃げ、履歴書を書きつづけた。震えながら。
宮城県三陸沖にて日本史上最大規模の地震が発生した。
僕はつくばに住んでいて、人生で初めて震度6強という揺れを体感した。
家にいた僕は、勉強の息抜きにDSを興じていた。
最初に揺れを感じたときは、「あーまた地震かぁ」程度の感覚だった。つくばではしょっちゅう地震の発生があったため特に慌てるようなことはなかった。
だが、少ししたら結構強い揺れであることを感じ、とりあえず不安定なテレビをベッドに移した。壊れたらもう買い替えれないって思って。
テレビを移している際、どんどんどんどん揺れが大きくなっていった。
どんどんどんどん
机からあらゆる物が落ちていった。ドサドサドサっガシャーン!
ペンも、本も、飴も、蛍光灯も、全部。
キッチンからはパリーン!
皿が割れるが聞こえ、戸棚に入っているカレーのルーだとかポタージュのもとだとか、降ってきた。
「え、おい、これちょ、まじか、えっ」
テレビを移し終え、慌てた僕は机の下に避難。ペンが落ちてくる、本が落ちてくる、飴が落ちてくる、ハサミが落ちてくる。
やばいやばいやばいやばい
心が震え上がるのを感じた。死への恐怖なのか。
情報がほしい
そう思い、ケータイからmixi、ツイッターを見た。一体どこで、どんなことがおきたのか、どのくらいのことが起きてるのか。
みんなつぶやいている。「大地震発生なう」「これほんとにやばくね」「どうしよう」
なかなか揺れがおさまらないなか、有益な情報を得た。「茨城震度6強!」
震度6強
そんなの経験したことがないし、てか震度6強て何?6強て??
隠し切れない動揺。これが、これがずっと噂されていた関東大震災か。と思った。
「震源地宮城!」
…え?宮城が震源地?
あまりにも予想外すぎて一瞬理解できなかった。茨城で、つくばで震度6強の地震の震源地が宮城。じゃあ、宮城はいったい震度なんなんだ、そして山形は?山形は大丈夫なの??
パニック状態になった。自分に「落ち着け落ち着け」と言い聞かせる。まずは自分の安全の確保。
長く続いた揺れがおさまってきた。窓をあけ、ガスの元栓をしめる。ケータイの充電をしようとしたが、電気が使えないようだ。コンセントを片っ端から引っこ抜く。割れた皿を片付ける。
作業中にすぐ余震がくる。そのたびに机の下にもぐり情報収集。このあたりから、だんだんと恐怖心が恐怖心では別のなにかにかわっていっている気がした。
「なんだか映画のなかにいるみたい」
そう思った。そして、そんな状況に、僕はワクワクしてきた。このあとどうなってしまうのだろうか、どう生きていくのだろうか。考えれば考えるほど冷めない熱。興奮。
ドキドキしていた。僕はごくふつうのなにもない刺激のない春休みを過ごす予定でいたのに、まさかこんな刺激的なことに直面できるなんて!
「避難とかしちゃうのかな?外でたら地割れとか起きちゃうのかな?建物がゆれているのを見れるのかな?」
そんなことを考えながら、片付けを行ったり親や絶対に死んでほしくない友達の安否を確認していた。「これで誰かが死んでしまったらどうしよう、おれはどういう顔をするんだろう」
まさに精神状態が異常だった。狂気だった。自分の安全がほぼわかったと感じたから、そんなことを考えることができたのかもしれない。だが、今思うと本当におかしくなっていた。
16時にバイトの面接を控えていた。そんなものやるわけないとは思いつつ、15時くらいから履歴書を書きはじめ、着替えをした。
15時半くらいに違う震源地で強い地震が発生。僕は机のなかに逃げ、履歴書を書きつづけた。震えながら。

