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クスリと笑えるブログにしたい
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またすごい大げさなタイトルつけてしまいましたが。




ツイッターのほうで、「自閉症の弟がいると、どうなるか」っていう記事が流れてきて、それに感化されたので、少し、自閉症に関係することから、全く関係のない個人的な家族についての話(いうなれば、自分が家族を嫌いになるまでの話になるのかもしれない)をば。



僕は3人兄弟でして、3人とも男です。それで、僕は次男で、弟が自閉症持ち、です。

うちの弟は、自閉症持ちといっても結構症状は軽いほうなので、それこそ全く会話ができないみたいなことではないです。まぁ、ただ人より少し我慢できなかったり、人より少し言葉が通じなかったり、人より少し言ってることが分からないです。
その「少し」が、そういう人たちと密に接した経験のない人としては相当大きいものと捉えられるし、「普通」ではないと思われちゃうのが実情ですが。



それで、上に書いてきたとおり、「少し」しか違わないので、小学生のときとかほんとはそういう人用のクラスに入るところを、うちの親たちは結構頑張って普通のクラスにいれました。

普通のクラスに入ったので、普通に授業出るし、普通に宿題あるし、普通に給食食べるし、みんなと同じように生活することを強いられるわけです。
もちろんそんなうまいこといくわけもなく、当時1年生だった弟が何か問題を起こした時は、小学5年生だった僕が呼ばれて駆けつけてなだめたりすることもありました。

(ちょっと話ずれるのですが、当時弟と同じように自閉症の子が弟の同学年でいて、その子と掃除当番が一緒になっていて「すごい偶然だなぁ」なんて思っていたんですけど、あれはもしかしたら先生たちが「自閉症の子に慣れているから」と思ってそういう役割にしたのかな、なんていまさら思いました。)


それで、その当時は母とかがほんとにがんばっていて、勉強にちゃんとついていけるようにすっごい一生懸命教えてて、本当に「普通の子」として育てようとしているというのが見えてたんです。それはもう小学生の自分が見てわかるように。
そんな姿を見ていたので、僕も弟に勉強を教えることが多かったです。まぁ、ぜんっぜん聞いてくれないんですけど、なんとか理解させようと、なんとか興味を持ってもらおうと小学生のおれ四苦八苦。(だから何かを教えるのがうまくなったのかもしれないですね)



ほんと大変なわけですよ。ほんと。自閉症の子って、自分が面白いと思ったことにしか、基本的に頑張れないんですよ。(正確に言うと自閉症の大きな特徴の一つなだけで、自閉症は本当に様々な症状のパターンがあるんですけど)
それで、うちの家族はみんな算数・数学が得意なんですけど、弟もその血を引き継いだのか、算数に関しては小学1年生だった自分(一応現在、難関国立大学在学)と比べても同じくらいの能力を持っていて。やはり「できること」は面白いようなので、算数は何も言わずにも理解してくれて。
一方、文系科目とか、理科とかはもうからっきしダメで、ぜんっぜんやってくんないわけです。宿題とかはやらせるけど、すごい大変だったわけです。





それで、まぁ、親も疲れちゃったんでしょう。段々と学年が上がるにつれてそこまでそういうものに熱をあげなくなってしまって。




これ、今の自分から見たら、「仕方ないことだ」ってある程度理解できるんですけど、当時の自分(中学生くらい)はそれがあんまり許せないというか…、なんだろう…、、、「へー、そうなんだ。そういう感じなんだ。」みたいな。「あきらめちゃうんだ」みたいな。冷めた感じの目線と言いますか。ちょっと言語化できないのでうまくニュアンスを感じ取ってほしい…w





それで、あと自分が世間一般で言われる反抗期に入ったからかしりませんけど、段々といろんな理不尽に耐えられなくなってきたりもしました。これは、自閉症の弟がいることで、親から強いられる理不尽、です。
だってさ、だってさ、例えば家族で大富豪やるときにさ、わざと負けないといけないんだよ!ゲームとかやってもさ、わざと負けないといけないし、てか何をやってもわざと負けないといけなかった!

僕は結構ゲーム得意なので、大体のゲームがある程度のレベルまでできるから、大体みんなに勝てるんですけど、わざと、わざと負けないといけないんですよ!小学生~中学生くらいの自分がさ、そんなわざと負けるようなもの、絶対に負けなければならないものをしててさ、一体何が楽しいんだ!って話じゃないですか。それなのに毎年のように大みそかは大富豪大会やんないといけなくって、夜遅くまで負けっぱなしですよ!なんなん。まじなんなん。。。
「大人になれ」って言われてたけど、小学生~中学生くらいのやつにそれはあまりにも難しいお願いでしょうよ!





話がそれました。ただの愚痴になってしまいました。


まぁ、いまの一例以外にも、いろんな理不尽に我慢しないといけなかったわけです。もう詳しいことはあんまり覚えてないです。

(これも話がそれてしまうのですが、自戒(反省)のために、正直にここに書くと、その理不尽とかで家でのストレスが半端なくって、弟に暴力をふるってしまったことが何度もあります。まぁ大体が「僕が自分の部屋で勉強したりとかしているとき、弟が部屋の中に入ろうとして来て、それを追い出すために」という理由があって、その結果がそういう形になって表れていました。弟としては、もしかしたら暇だったから遊びたかったのかもしれないんですけど、その時間が耐えられなくなっていた。ストレスでしかなかった。)
(上のことを書いてる最中にふと思ったけど、中学高校とかなり情緒不安定だったのって、その過度なストレスのせいじゃね、とかとか。)
(まぁ、だから自分がもし子供を持ったときに、暴力を振るわないと言い切れる自信がない。子供ほしいと思うこともあるけど、持たないほうがいいんじゃないかと思ったりする。)






そしてそんなある日、事件がおこるわけです。(高2だったと思う)






何がきっかけかは、また覚えていないのがあれなんですけど、なにかしら弟がやって、それに対して僕がキレました。明らかに弟が悪いことをやって、むかついたからキレた。怒った、じゃなく、キレた。




それに対して、父が当然のごとく僕のことを叱るわけです。我が家では弟が悪いことやっても、僕がキレること「しか」悪くないんです。




それで、僕もとうとう言うわけです。


「なんで弟が悪いのに、おれがこうやっていつも叱られないといけないんだ。いつもそうだ。なにをやってもおればっかり。ふざけんな。」


と。



それに対して父は、こういうのです。



「しょうがないだろ。弟は普通の子とは違うんだ。なんでそれがわからないんだ。」





悲しかった。






わかってないわけがない。わかってないわけがないんだよ。




そしてなにより





昔は「普通の子」としてちゃんと育てようとしていたのに。





「しょうがない」の一言で片づけられてしまった。






それが許せなくって、それに対して反論したくて、でも頭に血がのぼっていたからうまく喋れなくて。




「それも、育て方が間違ってたんじゃないの。」



と言ってしまって。




「これは育て方の問題じゃない。生まれつきなんだ。ほんとに何もわかってないな」




と言われたのです。
その後もあーだこーだまくしたてられて、こっちの話をまともに聞いてくれなかった。。





この件があってから、ほんと親が嫌いになってしまって。もうなにいっても通じないんだな、なんて。


後日談になるのですが、大学1年生の夏休みに帰省した際、秋田の祖母宅へ行った際、僕が寝ているとか思ったからかなんなのか、その話を僕がいた隣の部屋でしていたときの父の発言が、

「結局ただ反抗したいだけなんだよ、あの年頃は。笑」

で、ますます嫌いになった。こっちはいろんな想いをもって、ずっとため込んできたものを全力でぶつけたつもりだったのに、「ただ反抗したいだけ」と思われていた。理解しようともしてないくせに。ずっと子供扱い。






そうですね、だから、結局言いたいことは何かっていうことなんですけど、ただただおれは「あきらめてほしくなかった」わけです。弟を普通の子として育てることを。
もしくは、最初からそんな努力をしてほしくなかった。途中であきらめるくらいなら、やらないでほしかった。



思春期の自分は、そう思っていました。









…うぬ。すごく重い話をしてしまった。
誰にも話したことがないことばかりだと思う。自分の中にすごく深い闇の一つ。もしかしたらこの記事はこうやって言語化してみんなに見せたことを後悔するかもしれない。


でも、この人生の中で、家族のことっていつかは向き合って考えないといけないことだと思う。だから、そういう過去を振り返って、自分が何に不満を持っていて、それをどうしてほしいのかとかを、ちゃんと伝えないといけないのかなって。そうしないと、それを解決しないことには、多分おれは一生親を好きになれない。別にそれでもいいのかなっても思わなくはないけども。







先輩とか友達がね、親とお酒飲んだ、なんて話を嬉々としているところを見ると、いいなぁ、って思うんです。きっと、なんでも話せる関係ってことですもんね。







まぁ、今日はこのくらいにしておいて。他の家族闇話は、また何かしら書きたい動機が生まれたら、書く「かも」しれませんw


おわり

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目標設定について。


まだあと1年間ほど残されているのにこんなことを言ってしまうのもあれなのですが、自分すごい大学生活は後悔なく満足して生活してこれたと思えていまして。



それってなんでかなー、って考えたんですけど、それで思った答えは、


「やりたいことが明確にあったから」



だと思うんですよね。



受験のときや、受験後とかに、大学生活の妄想というか、「やりたいこと」を考えていて、ブログにも記事として載せていたりしてて、実際自分はそのとき思った「やりたいこと」をしっかりやってきている大学生活をおくれていて。



そのとき思った「やりたいこと」を達成するためにはどうすればいいのかを考えたりとか、「やりたいこと」をやるための決断をするタイミングとか、そういうのがすごくうまくいってて、その結果、本当にやりたいことをやれてきたんだろうと。



そういう経験を踏まえて、思ったのは、社会に出てからも、本当に「やりたいこと」を持てば、すごく充実した、満足のいく生活を送れるんじゃないのかなぁ、と。実感を持って思いました。

ただ、ただただやりたいことを持てばいいわけではなくって、あくまで「明確に」やりたいことを持つことが重要なんだと。
例えばおれがフルマラソンを走りたい!っていう明確なやりたいことを思ってて、だからこそマラソンについて調べたりとか大学生活中も走っていたりすることができているわけでして。


結局、その「明確さ」がなければ、具体的に何をしていいかわかんなくって、だから結局何もやらずにのうのうと生きてしまうんじゃないかなぁ、と。



ということで、今後もしこんなことがやりたいみたいな願望が出てきたときは、具体的に明確に考えてみようと思いました。そのとき、「これは無理だ」とか思うことは極力減らす。できると思って、そのために何をするべきなのかを考えていく。

これが人生成功させるための鍵ではないかと思うんです。




まぁ、言ってることは至極当たり前のことではあるんですけど、その当たり前なことでも、実感が伴うか否かで大きく感じ方が異なりますので、そういう風に実感を持って思えた記念に、記事にしてみました。


おわり

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このブログ、












とうとう1000記事達成しましたーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!






2007年10月から2012年5月という4年と7カ月の期間で、1000個もの記事を書いてきたようです。1ヶ月平均18記事のようです。大学生活中の自分が平均下げまくったんでしょうね。。。



そうですね、1000記事に約5年もかかると考えると、果たして2000記事はいくのか謎ですが、てかこのブログいつまで続くんだろうね?社会人になったらブログやっちゃいけないとかも、もしかしたらあるのかな?というなんか色々思ってしまいますが、とりあえず2000記事目指して頑張ろうと思います。







それでですね、1000記事目なんですけどね、実はこの記事でも、これの前の記事でもないんですよね。



1000記事目は、2007年、12月21日の記事です!え



いやぁ、実はさっきまで「オナジソラノシタデ」の過去記事をこちらに移す作業をやっていまして、気付いたら1000記事を余裕で越えてしまっていて、この記事が現在1070記事目です☆←


(ということで正確にいいますと、完全移行が終わって現在1070記事で、2月以降の記事数が56なので、今年の1月には達成していた。なので4年3カ月ですね。平均20記事)



まぁ、そんなこんなで、オナジのほうの過去記事はすべてこちらに移行し終わりました。ということで、あちらのブログは完全に削除します。


記事自体は移行しましたが、まぁ、単純にコピペなので、改行とか全然おかしかったりということで、とても見れたもんじゃないから、そういうのの修復を今後は進めていこうかと思います。




そんなこんなで、まぁ、これからも思い立ったときに好きなように好きな感じに適当に、書いていきたいなと思いますので、どうぞよろしくお願いします。

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今日の朝、メールチェックしたらFaceBookから


「今週お誕生日の方がお二人います」


ってメール来てました。



嫌なんですよね~、誰かから誕生日を教えられること。

なんか、すごい


「今日はこの人の誕生日なんだから、みんなで祝わないとダメだよ!」


って言われている気がして、すごく嫌。





本当に祝いたい気持ちを持ってたら、言われなくても祝ってるんだよ!!!!このボケがぁ!!!!!





こんな気持ちを持っているので、だから本当に「祝おう!」って思って、誕生日メールとか用意したりサプライズとか考えたりしているのに、なんかさ、「お前も祝えよ」みたいなさ、感じがすげーやだ。それのせいで祝おうとする気持ちが失われるレベルで嫌だ。




てかそもそもなんで誕生日祝うのにわざわざSNSを通すの?個人的なやり取りでいいんじゃないの?なんでメールしないの?なんで公衆の面前であえて祝うの?



「だってメールってめんどくさいし」


とか思った人は本当に祝いたいって思ってるの?祝いたいならメールくらいの手間はいいんじゃないの?そんな手間すら嫌になるくらいの気持ちしかその「祝いたい」という気持ちには入ってないの?




「みんなにも気付かせてあげれば、みんなから祝ってもらえそうで、相手が喜ぶと思ったから」



そんな感じでみんなに祝ってもらえることが本当にうれしいの?形だけの祝いになっているんじゃないの?そこには本当に「おめでとう」という心が入っているの?
なんでそんなことをあなたがわざわざするの?それはあなたしかそういうことをやらないと思っているからなの?そもそもそんなことをしなければ気付いてくれない友達しかその人にはいないと思っているの?





とかなんとか、そういう風に思ってしまって、結局繰り返すことになるんですけど、嫌なんですよ^^



だから、今回のFace Bookからきたメールのサービスは、やめてほしいな、って思いました。
たぶん一般的には教えられるほうが、多くなってきた友達の誕生日を全員覚える必要もなく、とても便利なサービスなんだろうと思います。配信停止ができる道を探してみようと思います。




ちなみになんですが、いまは「誰かから教えられること」が嫌という話でしたが、自分から進んでアピールしている人とかは全然いいんですよね。(それを自分自身がやるのはあまり好きではありませんが)



という、個人的な思想(?)の話でしたー。なんだか久しぶりな気がするこういう話。


おわり

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Perfumeのライブ記事、書きました。


なんか、物足りないような、でもこれ以上色々書くと、なんだかまとまりがなくなりそうで、結局、ライブ内容を入れず、「すごいライブだった。その理由とは」的な感じの記事になっちまった。文章って難しい。





それはさておき、就活話!今週の水曜日、Pの面談と、某局の面接やってきました。



Pのほうでは結構誉められた点もありつつ、まだまだな部分をしっかり指摘していただいたので、来週の水曜日にもう一回面談後、4次面接行ってきます。役員面接。



誉められたのは、俺が最終的に何をやりたいのか、ということが、現在その会社がやろうとしていることまんまそれだったこと、ダメなのはそこにたどり着くまでのプロセスをもっと具体的にイメージすることと、話し方、あと、心と頭が一致していないので、それを合わせること。



某局のほうについては、わからんけど、落ちたのかなーって思います。
そもそも5分間だけしか時間を与えてもらえなくって、聞かれたことも志望動機すら聞いてくれなくって、何もアピールできずに終わってしまいました。

「最後になにかありますか?」って聞かれた時に何かしら用意しておくべきだった。「この面接で何を伝えたいのかを意識する」って前も反省していたのに、全く活かせてなかった。反省や。



受付とかをアナウンサーがしてくれたので、それがよい思い出だったね、って感じです。




就活話おわり!


それで、いま実はゼミのほうが急激に進展していまして、それに結構時間を取られています。
いままさに就活に集中したいのに…っていう不満とか、話し合いへたくそとか、何かしらフラストレーションがたまってきているところですね。。。

急に「来週まで論文集めて読んでまとめてきて!」というなんともざっくりした課題を与えられていて、あたふたしているところなのです。きつくない?それきつくない?



なんともタイミング悪いと言いますか…もう少し後にしてくれたらなぁ。



とりあえず、現状こんな感じなのでした!
また記事にしてはいけないことが日常になりつつあるから、困る~


おわり

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