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クスリと笑えるブログにしたい
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ケータイ変えました。


W52SHを高2の秋から使っていたので、3年と5カ月ですね。ちなみに初代のW32Hが2年と9カ月だった。


たしか初代から2代目に変えた時は赤外線通信ほしーっていってて、そして今回も赤外線通信が壊れてしまって、赤外線通信ほしいーって言ってた、ということは多分ぼくは赤外線通信をすごく求めているんですね。何



REGZAフォンIS04です。スマートフォンにしてしまいました。IS05と悩みましたが、機能等考え04にしました。


日立→シャープ→東芝ですね。
個人的には初代の使いやすさ半端なかったので日立製品にしたかった、という願望があったのです実は。シャープも好きだったわけですがもちろん。うちの電化製品ほぼシャープだし。うん。別にシャープが悪いとかそういうわけではなくって、でも日立のがすごく、良かったということであって、そういry



さて、REGZAフォンです。



こやつ、あまりにもイケメソなので、風早くんって名前を付けてあげようかと思ったのですが、風早くんはさすがにちょっと買いかぶりすぎだし、てか風早くんって僕のことなので、こやつなんぞにつけるのは惜しいな、と思い違う名前にすることにしました。ん?今おれなんか変なこと言った??



中田くんにします。今日から僕のREGZAフォンは中田くんです。なので今後各所でつぶやく際は中田くんって表記されていたら、ケータイのことなんだと思ってくださいな。これ筑波大の人には言わないでおこうw



それで中田くんなのですが、御存じタッチパネルでして、画面に触ると反応して声を出したり動いたりするんですが、まだまだ僕がへたくそなようで、難しいです、誤作動を起こしまくってもはやイライラするレベルです。←



あとアドレスのフォルダ分け(受信するとき)のやり方がいまいちわからなくって、ん?ん?ってなったりで、うん、難しい。ケータイも難しくなったなぁ。W52SHのときとかほぼ説明書読まんかったのになぁ。


あとアプリのあれとか設定のあれとか、中田くん、気難しい方なようです。


でもやっぱり中田くん、すごく便利ですね。あとすごく物知りです中田くんw



もっと中田くんと戯れて、知らないところを失くしていけるように頑張りたいです^^



でははー。

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※不快になる方がいるかもしれません。いや、別に批判とか愚痴とかそういうんじゃなくて、あの、その、あ、下ネタでもないです!あれですよ、あの、えっと…Perfumeネタですわぁ!
「こいつキモイ」って思うかもしれません。キモイって思わない自信のある方だけ見てください。キモイって思われたくない(;;)














あ~ちゃんヤバすぎるよおおおおおおおお



なんなんですかまじあの子は一体なんなんですか




Perfumeのファンクラブ内のあ~ちゃんのブログで、あ~ちゃんは動画をいっつもあげているのですが、今日、地震後初の動画で、被災者を励ますような内容の動画をあげてくれました。


内容は、励ますのと、Perfumeあ~ちゃんとしての、アイドルユニットPerfumeとしての自覚と決意をしゃべっていると感じました。



「いま私にできることは、皆さんが元気になれるような、いつもの私、あ~ちゃんでいることが一番大事なんだと思いました。元気に明るく、皆さんを照らせるように、きらきら笑顔で、心強くいることが一番大事なのかなと…思いました。
だから、みんなを、ちょっとでも元気にできるように、私…は、弱い西脇綾香でいるんではなく、Perfumeのあ~ちゃんで居続けます。今ニュースを見て、やっぱり心苦しいし、涙も止まらないけど、元気をわけてあげれるように、明るくいます。」





はぁ、すごい、これツイッターにあげてこよ。やっぱやめよ。
自分がどういう存在なのかをわかってて、こんなときでも、いや、こんなときだからこそ、「西脇綾香」としてではなく、Perfumeのあ~ちゃんとして、いてくれる



こういうのって、なんか言ってても普通に「どーせそんなん嘘やん」って文面で見ると感じちゃうんだけど、動画で、しっかり自分の声で、言葉で、一つ一つ丁寧に伝えてくれるから!
だからいつでもあ~ちゃんの言葉は信じられるし、僕のようなPerfumeファンにとって大きな光となって、僕らを元気にしてくれるんだろうなぁ、って思いました。





のっち「あ~ちゃんは太陽です」


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トラウマ

耐えられないような体験・その痕跡。内的原因(欲動興奮的)と外的原因(侵襲破壊的)がある。

幼少期などにおける耐え難き体験、大人になっても克服できていない苦い思い出。




なんかうえの表現見るとそれほどでもないって思うけど、でもなんかそれっぽい感じで地震が来るたびにものすごい恐怖心に襲われ、体中が震え、しばらく過呼吸みたいな状態になります。


でもなんか自分がこれはトラウマだ、って思えば思うほどひどくなっていっているようにも感じるのであんまりそう思わないようにしたいなーて思います。




いやでもほんと、冗談じゃなく怖い。夜とかマジで。

さっきあった(22時くらい)震度4×2の地震からずっと胸がドキドキです。なんか、常におびえているというか、大会前日の夜みたいな。緊張感。



なんかつくばって、今回の地震であった揺れのすべてにおいて、ゆれてるほうだと思う。
なんかうん、ほぼ震度3以上だし。新潟のやつくらいじゃないか?離れててそこまでつよくなかったの。長野(だっけ?)であったやつですら震度4だし。一体何なんだ。精神的に追い詰めないでくれ。誰かさんは電話するとか言ってしてこないし。(愚痴)

 


いやね、でもこんなことばっかりいうと鶴岡帰ってこいってみんなからめっちゃ言われると思うけど、
ライフラインが完璧に使えるのに停電の対象外になった地域でもあるので、まぁ必ずしも悪いことばかりではないんだ。むしろ山形で停電とかなったら凍え死ぬと思うんだ。
食糧だって疎開していく方々から大量にいただいてるからむしろ地震前よりも困らないような状態という。わけわからん。



とりあえず、まだまだやること盛りだくさん、というかすぐにやれるようにするために待機しないといけないような、そんな状態なので、まだまだ安全だと思えている間はつくばに滞在し続けます(´∀`)


ぜ、ぜんぜんさみしくなんかないから、電話なんてしてくれなくてもいいんだからね!!!!いや、でもほんとに電話とかしていいのかな?←



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・ツイッターによる情報収集、むやみな拡散

・自分の思ったことをすればいい、というわけではない。ときに迷惑にも。

・ネットの力が強くなった

・被災地の人を助けたいなら金を使え

・ヤシマ作戦…!

・テレ東の裏切り、協力関係の破棄
(決して悪いとはいわない)

・課外活動の不安
=日常への不安

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3月12日(土)


電気が使える友達宅にて一晩を過ごした。


夜、寝ている間も何回も何回も余震が起き、そのたびに目を覚まし、すぐに逃げることができる体勢を整えた。


ぐっすりとはいかずとも、眠ることができた。mixiやツイッターで、「心配すぎて眠れなかった」「怖くて眠れなかった」などつぶやかれているのを見て、自分は精神的にはかなり落ち着いているのだろうと感じた。

朝8時ごろ。ツイッターで近くの避難所でご飯と水を配布しているという情報を得た。少しでも食糧と水を確保しておきたかったので避難所に向かうことにする。


とてもいい天気だった。朝日がまぶしい。外に出ると前日ほどの人通りはなく、日常に近いと感じた。


避難所についた。近所の中学校。体育館にみんな避難していて、そこでご飯と水を配布していた。みんな毛布にくるまっていたので、きっと寒い夜を過ごしたのだろうと思った。

ご飯と水を受け取るとき、「避難者名簿」みたいなものに名前を書いた。これで本格的に避難者になったように感じた。


電気のつく家に帰宅し、朝食をとる。もらってきたものではなく、みんなが各自持ってきたパン等を食べた。


朝食をとってから、少しだらだらした後、自分の家に帰った。ツイッターでほかの地域のライフラインが復旧している等の情報を得ることができたので、もしかしたら自分の家のライフラインも使えるのではないかと思ったからだ。


しかし、そんな期待は打ち砕かれた。水電気ガスが使えず。とりあえず部屋の整理をさらっとして、着替えてまた電気のつく家に行くことにした。行こうとしたらトトロから電話がかかってきた。どうやら大丈夫のようだった。話途中で切れてしまったが、きっと、大丈夫。その後すぐに親からも電話がかかってきた。電話が通じるようになったのかーと思い、ゆーかにかけまくるが全くかからなかった。



すき家やBig Boyなど、飲食店が活動を再開しているのを確認する。店の中は人だらけだ。バイトの面接先はまだしまっているようだった。



昼食をとる。少なめ。今後を考えておなかいっぱいは食べないように、胃袋を小さくするように。



午後。特にやることもなく、だらだらと過ごす。ジェンガをして負けたほうが「すべる話」をすることに。



変な感覚だった。
特にこれと言って問題がない。つらい状況にあるわけでもない。なのに「避難者」として扱われ、また、「避難者」として行動していた、非日常を繰り返していたのに、なのになんて平和な生活を送っているのだろうと。


日常のようで非日常を過ごす時間。まったりと過ぎていく。その間にもラジオから流れる宮城や岩手、福島の惨状。mixiやツイッターで飛び交う情報。まるで自分たちだけ違う世界で生きているかのような感覚だった。


18時以降から停電するという話を聞いていたので17時にはご飯を作って食べる。ここまでは本当にもう大丈夫だろ、と余裕だった。
しかし、福島で原発が大変なことになっているというニュースを聞き、その場が凍りつく。「福島近くね?」「いやでも10キロ以内の人が逃げればいいんじゃないの?」「放射能なめんな」「そんななの?だいじょうぶじゃね?」「いやいや、つくばなんて近いから危ない。オレ実家に帰る」


ずっとお気楽発言を繰り返していたのが僕である。そしてもう一人がいつも知ったかぶりをするやつである。知ったかぶりをするやつの話だったけど、あまりにもあつくやばいやばいといわれてしまい、周りの人たちもだんだんとやばいんじゃね?と不安を覚えるようになる。みんなすぐにつくばから逃げれるようにとATMに駆け込みお金を下ろす。


お金をおろし、電気がつく家に入る直前で、ゆーかから電話が来ていたことに気付き、かけなおす。放射能がどうのこうの大変らしいからもしかしたら西に逃亡するので泊めてください的な。これ、ただゆーかに会いたかっただけなのかもしれないとかいまさらだけど思ってしまうような言動だった←


帰ってきたら、放射能別に大丈夫だよーみたいなことになっていた。さすが知ったかぶり。それをさも当然のごとく伝えてくる。


20時には電気を消して寝る体制に入る。完全に山の上での生活スタイルと同じだ。そう、僕たちワンゲルはいざとなったら電気なんて必要ない。そういう世界での生き方を知っている。




眠りについて22時ごろ。余震で目を覚ます。結構ぐっすりと眠れた。
ツイッターで色々情報を得ようと開いたら、僕の好きな居酒屋が無料でご飯を出すというサービスを行っているというつぶやきを見つける。
友達と一緒に行き、鍋を揚げ物を無料で頂いてきた。「こんなことやって大丈夫なんですか…?」と聞くと、元気よく、「ぜんぜん大丈夫じゃねーよ!」と言われた。ここはつくば一の居酒屋だと思った。



そして再び帰宅。23時半ごろ。その後は眠れなかったのでブログを書いた。



ブログを書いていて、そのときの状況を思い出せば思い出すほど、自分なにやっているんだろうと思ってくる。地震直後の行動は本当に異常だった。




3月13日(日)

全てが日常に戻り始めた。

電気のつく家以外の家も電気がつき始め、ガスがでてくる。水の配給をやめるかも、避難所を閉鎖する、という情報が飛び始める。


僕も、いつまでも居候しているのもあれなので家に帰る。電気が使えるので基本的に困らなく生活できる。水は18時以降に一時的に流れるようにするということだった。


友達がうちに来てソラニンを見ていくという余裕を見せ、僕は部屋の片づけをし、執の仕事を多少行う。これはもはや日常といってもいいだろう。



そう、もうすでに僕は日常生活を行っている。


心配ごとは、7割の確率で大きい地震がもう一回来るという話。震源地は震度6強レベルの地震になるらしい。またあの揺れを経験するのだけは勘弁…。



しかし、「被災地に住んでいる僕」は不安がっていないのにかなりまだ心配でいる人たちがいるのを見ていると、自分はすごく楽観的なのか、もしくは被災地にいるからこそわかる安堵感なのか。とにかく世間とのギャップがあるような気がした。


もちろん、まだまだ宮城岩手辺りは大変だし福島の原発も人体に影響ない程度だと言え危ないし、千葉では鳥インフルエンザとかいいはじめるし実は全く報道されていない茨城北の人たちはライフライン全く使えないのに何の支援もない状態とか、すごく不安定な状態であるというのは間違いない。





だけど、だけど、




僕は大丈夫!もう避難生活はおわりなのです!非日常はもう終わって、また替わりようのない平凡な、なんとなく幸せな毎日がだらっと続いていくのです!


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